なつかしいシリーズ 1
2010-10-26


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今ネタがなかなかないので 昔ネタで穴埋めです。

このブログ佐渡出身で都会暮らしの方も見てくれているようなので、共有しているであろう昔話でも。

まあ島外の方々は面白くないね、でもちょっと我慢して.......。

机を探してみました、こんな写真がでてきました、昭和何年くらいでしょうか?なみじ丸ですね。

岸壁もむかしの場所、今の相川土木事務所があるあたりですか?こうしてみると現在はけっこう埋め立ててます。

見送りは当然テープですね、紙テープよカセットじゃない。この船は何百トンってとこか?1000tは越してないかと?詳しくは知りませんが。

このころは冬 新潟に渡るのは地獄の苦しみだった、揺れるんだもんね 半端じゃない。もちろんフェリーじゃないから造りが頑丈で巡視船レベルときいたことがあります。

だから波があってもけっこうでちゃうでんです。高い方は揺れが大きくなるんで三等の船底へ....ほんとうは安いからね。

喫水線の近くにある丸い窓は波からでたり隠れたり、ペンキの臭いやヘドバケツの臭い、トイレなんかまともに歩いて行けないし、東京には行きたいけどこれがあるから行きたくないとも。

船にはいい思いではほとんどない、でも船酔いで死んだ人はいないからみんな生きてる よかったね。まあ夏場ほとんど問題ないので観光客はほぼ知らないと思うけど。

今のはでかいから 波に当たると多少ボディーがシェイクするけど、寝てさえいれば船酔いはほとんどないので楽になりました。それに近年お客さんが激減しているので ゆっくり寝てこれますよ。
[2010年度日誌]

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